社長のつぶやき

2018/04/27

『今月の一言』(2018/05/01) NEW

 4月16日から19日まで、インドネシアのジャカルタとバリへ日系人の調査とエージェント探しをするために行ってきました。暑い・熱い国です。ジャカルタに着いた時間は夜8時、気温は31℃、バリでは34℃。彼らは歩くのも遅いとよく言われていますが、本当に遅い。この気温では人体の熱交換がうまく機能しません。急ぐとすぐに熱中症になりますから仕方がありません。

 さて、2億6,500万人の人口から数万人の日系人をどうやって見つけるのか。その調査方法はそんなに難しくはありません。上手な彫刻家は丸太を見て彫るイメージが湧いてくると言いますが、私はインドネシアの歴史に関する本を図書館で借りたり、本屋で買ったりして、何冊も何冊もしつこい位読みます。分からなければインターネット(私でも使えます)でさらに詳しく調べます。段々とインドネシアという丸太棒から少しずつ余分なものが削ぎ落とされ、私の必要とするエキスが見えてきます。ただ、この程度の知識でインドネシアに行くと、ハズレに当たったり、あてにしていた人の対立人脈に行き当たったりして右往左往することになるので、面倒でも人脈地図を描くことにしています。

 私たちは実業人であって、学者ではありません。ほとんどの国の人たちは、自国にいる外国人の実態を知りません。みなさんも、日系ブラジル人、ペルー人、フィリピン人、ボリビア人が日本のどこに多くて、どんなネットワークで動いているか、行動特性なんて考えたことはないでしょうね。私は、「丸太の状態」のインドネシア人はよく分かりませんが、余分なものを全て削ぎ落としたインドネシア日系人はよく分かります。当たり前ですが、インドネシア人よりよく知っています。そこで、ジャカルタの日系人団体「福祉友の会」に行ってみましたが、約20年ぶりに訪問した時の顔ぶれとは全く違いました。当時の会長などお会いしたみなさんはお亡くなりになっていました。時の流れを感じざるを得ません。

 1940年代後半に約1,000人がオランダとの独立戦争に参加、1950年代にインドネシア国籍は与えられず、しかし、インドネシア国において生活を模索せざるを得ない凄惨な時代を過ごし、1960年代にインドネシア政府から勲章を与えられ、身分も確定(日本兵で勝ち取った独立と言えないインドネシア国の立場は理解しますが、なぜ1962年まで国籍も与えず放置したのか?)、そして1970年代から始まる日系人社会の初老期、老年期、次世代への世代交代期へと移っていきます。約1千数百名×5×5=約25,000名いるとみられる日系人社会。日系人社会への福祉活動を行う団体(現地では「ヤヤサン」と言う)「福祉友の会」は1979年に設立されました。それまでは、声を上げたくても上げられない数奇な運命に巡り合わされ振り回された人たち。今回の訪問でお目にかかれなかった現会長は、日本語もままならないと言います。「ヤヤサン」そのものも、今後10~20年で過去の団体として葬り去られてしまうかもしれません。



 ヤヤサンの会員にならなかった人は名簿にも載らず、その人たちの数は数百名余りと言われています。「生き恥をさらせるか」、「故郷の人たちに知られたくない」、私は数人の人たちから聞き取り調査をしましたが、まさに涙なしには語れない話が多くありました。今はその人たちも鬼籍に入り、語る人もいない歴史となりました。残念です。

 その後、ジャカルタからバリへ飛びましたが、ここでの日系人は、ジャカルタ、スラバヤ、メダンの日系人とは全く違い、30~35年位前から旅行者等で居ついた日本人の子弟のみなさんです。私のような歴史好きから見ると、推理する楽しさや歴史を検証するワクワク感もなく、その点では少し物足りません。日系2世の最高齢は36歳だと言い、人数は日本人補習校の先生は「2,000人位かな?」、別のある先生は「2,500人位かな?」、日本人定住者に聞くと、「そんなもんじゃないよ、5,000人以上はいるよ。それも入国者が日々増えており、生産もされているので、何人居るかなんて分からないよ」と言います。

 夜遅くデンパサールに着いて翌日の夜まで1日しかありませんから、リゾートの夜の楽しみは次の機会にとっておいて、一生懸命回りました。結果的に日本人学校が困っているのは、スキルに合った就職先・進学先がないこと、実業家の人はバリに帰国して観光しか働き先がないので、お金を稼いでも怠惰な生活に戻ってしまうこと、これを考えてくれるなら協力しようということになりました。どんな職業?と聞くと、まず「歯科技工士」と返ってきました。「この町は観光以外禁止されていて、おたくの技能は何の使い道もない」と一刀両断、技能実習で食品加工やビルメンテナンスはどうか、日系人には電気工事士はどうかなどと話が進みました。

 残念ながら1日では調査が進まず、再度訪問することになりそうです。この仕事は深く深く考えると創造力の必要な、本当に面白い仕事だと少しだけ思っていただけましたか。

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