社長のつぶやき

2017/06/06

『今月の一言』(2017/06/06)

 介護施設の入居者で、とある女性とお話をする機会がありました。彼女は、「施設に入居してから息子さんは様子を見に来るものの、お嫁さんとお孫さんは一度も来てくれない」と嘆きます。 「入居する時も30分くらいで帰ってしまった」に始まり、いつ終わるともなく延々と愚痴が続きます。そんな彼女の話を聞きながら、私は自分の会社について考えました。

 国と国、男性と女性、姑さんとお嫁さん、会社と社会、社員の皆さんと経営幹部。これらの多くが対立、非難し争うことで双方が戦いへ発展していきます。その後、多くが争いに疲弊し、国ならば戦争、男女なら離婚、姑さんとお嫁さんなら分離、そして会社であれば倒産することになるのです。一度崩れると、再生には気が遠くなるほどの時間と体力、そしてお金を要しますが、最後に残るものは恨みと徒労感、そして虚しさだけです。

 私は、冒頭の女性に、なぜお嫁さんとお孫さんが来てくれないのかを説明をしてあげたいと思いました。しかし、私の説明によって、十二分に傷ついている彼女をさらに苦しめてしまうのは分かっているのでそのお話をするのはやめました。

 会社でも同じことが起こっています。誰でも不得意な分野があって当然なのに、その人の弱点を執拗に指摘し、小さなことでも非難の応酬、良い悪いなんてちょっとした見方の違いだけなのに、わざわざやる気を無くさせるような消耗戦を仕掛ける人があなたの身近にもいませんか?。

 親鸞聖人の弟子・唯円が聖人の教えを書き留めた「歎異抄」の第3章に「悪人正機」という話があります。その中に、次の節がでてきます。
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、『悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや』」

 現代語に訳すと、「善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる。ところが、世間の人は常に 『悪人でさえ救われるのだから、善人はなおさら救われる。所詮善悪は人の心の置き所であって、そこまで傷つけあう問題ではない』 と言っています」となります。

 キリスト教でも同じことを述べています。ヨハネの福音書では「人々が姦淫の罪を犯した女性を捕まえ、石打ちの刑を行おうとしていた。その時、イエスが現れ『あなた方のうちで罪のないものが、最初に彼女に石を投げなさい』と彼らに言った。すると石を投げる人は誰も居らず、みんな静かに去っていった」とあります。人間は誰でも罪の性質を持って生まれ、罪を犯しながら生きている、これを「原罪」と説いています。人間は命あるものを殺さないと生きていけません。米、果物、肉もすべてが生命体です。そして、これを食して命を繋いでいくのが人間です。人は生き物を殺さず、罪を犯さずに生きていくことはできない、だから、許し合うことが大切だと説いているのです。

 当社のような人材や介護ビジネスも同じで、ある部分は社会にダメージを与え、また別の部分では社会を明るい未来へ進めています。私たちが目指しているものは、明るい未来を創造する会社です。社内で人と人が攻め合い、ダメージを与え合い、消耗してしまえば、会社は後退し、社員同士が疑心暗鬼を抱きベクトルの合わない組織になります。そうすれば、当社の目指している「社会全体を幸せにする」という理想は限りなく遠のいてしまいます。

 5月に開所した鹿児島営業所は、人口が21,400人(4月1日現在)の小さな町「さつま町」にあります。過去10年間で4,000人減少し、そして現在も年間400人余りが町から離れていったりして人口は減少し続けています。小学校は廃校となり、来年は中学校も一校統廃合されます。町には耕作放棄地が当たり前のように広がり、働き手がいないので企業も元気度がありません。当社はそこで、さつま町での従業員派遣を増やして都会のURや県営住宅に住む日系人とその家族に集団移住してもらい、新たにコロニア(移住地)を成立させることにしました。定住、移住人口を増やすことで、町は再生することができると考えています。日系の人たちがブラジルから来日して20~30年が経ちます。狭い団地ではなく空き家を活用し、広い一軒家で暮らしながら、彼らは60歳台、さらには70歳を超えても定年がない農業で、息子さんやお嫁さんは当社で働き、子どもたちはこの土地の子どもとしてのびのびと育てる、という未来を目指しています。彼らとさつま町が共に満足度の高い未来を描く実証実験が、まもなく始まります。

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