林隆春の言いたい放題

2015/04/08

『今月の一言』(2015/04/08)

  • 図1:在留ブラジル人数の推移図1:在留ブラジル人数の推移
  • 図2:年齢別在留ブラジル人数推移図2:年齢別在留ブラジル人数推移
  • 図3;世帯主が外国籍の生活保護受給世帯数推移図3;世帯主が外国籍の生活保護受給世帯数推移
  • 図4:県別 在留ブラジル人数図4:県別 在留ブラジル人数
 以下の文は、日系人の活用による地域再生について、ある自治体の首長に相談をした際に用いたものですが、「私の県は保守的な人が多いからね。」と首長に一笑され、全く相手にして頂けませんでした。

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 日本における組織的移民は、1868年のハワイ移民から始まりました。
1985年以降、北アメリカを中心に移民が盛んになり、その後、北アメリカの排日運動が激化。1924年、排日移民法が成立してアメリカ移民は終了し、以後はブラジルを始めとした南米移民が中心になり、1931年満州事変以後は満蒙開拓移民が移民の主 流となりました。
第二次世界大戦後は、1952年から移民が再開、戦後移民のほとんどはブラジル移民でしたが、1962年にカナダ、65年にアメリカが移民法を改正して受け入れた歴史があります。

 ブラジルは、1920年代後半、世界のコーヒー生産の60%を占めるまで農業が成長、人手が足りず、ヨーロッパや日本から契約移民を大量に受け入れました(戦前移民)。
戦後は1960年代後半から70年代にかけ、年平均11%、工業生産に限れば年平均13%の経済成長(ブラジルの奇跡)、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本においてもブラジル投資ブームが起き、移民が再燃(戦後移民)。

 1973年の第一次オイルショック、1978年の第二次オイルショック後(ブラジルは原油生産ほぼゼロ)、政策ミスもあり、ブラジルは対外債務残高が急激に膨張、「ブラジルの奇跡」は終わりを告げることになりました。
1987年、サルネイ政権は、国の外貨準備高が底をついたことにより、中長期債務の利払い停止宣言(事実上のモラトリアム)を発表、それまでも年間40~100%程度のインフレはありましたが、1988年に1000%、1989年に1800%、1990年に1500%の「ハ イパーインフレ」を経験しました。

 そこで始まった日系ブラジル人の「母国就労」。1980年代前半までは、技術のある日本人1世が中心の、一部の限られた人たちの労働市場で、「出稼ぎ」という言葉が使われることもなかったのですが、ブラジルの経済危機とは裏腹に、日本において は、1985年のプラザ合意以降、円安・ドル高で戦後経済を支えた加工貿易立国から、円高・ドル安政策の内需拡大と市場開放に大きく方向転換、「シーマ現象」とも言われた一大消費市場が出現、実需をはるかに超えた資金が投機市場(土地や株式) に流れ、バブル現象となり、1990年のバブル崩壊を迎えることになりました。
(参照:図1 在留ブラジル人数の推移・図2 年齢別 在留ブラジル人数の推移)

 1986年以降始まった「日系人の出稼ぎ」ブームは、日本とブラジルで同時期に起こった経済の大変動による偶発的な事象だったのですが、1990年の入管法改正(配偶者等の親族呼び寄せビザ→定住ビザ)は日本政府の人道的ビザと日系ブラジル人社 会は認識、改正以後、経済難民的な出稼ぎがピークを迎えました。

 さて、幾多の試練を乗り越えた日本に住む日系ブラジル人も来日後30年を経過し、世代交代を迎えていますが、彼らの多くはまず自動車産業の呼び寄せから始まり、弱電、半導体産業に広がり、その地域の県営・市営・UR団地、地域の一般住宅に住 んでいます。
居住地域はものづくり産業集積地で仕事の負荷が高く、50代以降の仕事は少なく、中高年や母子家庭の生活保護者が増えています。
今後、日系社会が高齢化することが予想され、脆弱な雇用環境で働くゆえ、社会保険や厚生年金未加入の人たちが行き場を無くし、集住団地がスラム化することが予想されます。

 図2では、2004年から2014年までの10年間で、20歳から24歳の在留ブラジル人数は35,861人から10,017人へ、35歳から39歳は31,557人から19,169人へと激減しているのですが、55歳から59歳は10,831人から10,379人へと微減、65歳から69歳は1,657人 から3,207人へと約2倍増しています。
この数字を見ても、今後多くの中高年日系ブラジル人は日本に定住・永住するものと考えられます。
(参照:図3 世帯主が外国籍の生活保護受給世帯数推移)

 日系人来日者の約3分の2は農家の出身で、一次産業との親和性が非常に高い人材であります。
高年世代の彼らをUR等コンクリートジャングルに閉じ込め、生産活動・社会活動からはじき出し、有用感の無い余生を提示することは、彼ら日系人の魂の死を意味することでもあります。
(参照:図4 県別 在留ブラジル人数)

 在日韓国・朝鮮人世帯の生活保護率は14.2%(日本人世帯の約4.6倍)、場所によっては日本人の7~8倍にもなり、インドシナ難民の高齢者に至っては、生活保護率が約50%だとも言われています。
我々は、オールドカマーに対する愚かな施策を繰り返さず、彼ら日系人に有用感のある、日本に恨みを持たせない、納得性の高い人生を提示することが求められています。

 歴史に翻弄された彼ら日系人に、70歳になっても80歳になっても体力相応の社会参加可能な「半労・半福祉」労働があれば、家族労働として三世代(親・子・孫)共に過疎地域での定住・永住を考える人も出てくるでしょう。
今こそ「出稼ぎ」から「逆移民」政策が求められているのです。

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 群馬県大泉町の総人口は40,944人、外国人登録者は6,430人と総人口の約15.7%(2015年2月28日現在)、しかし、出生率は、日本人は1.41人、外国人は3.0~3.4人です。
未来を考えてみましょう。
この町で日本人と外国人が同数になるのは、空想の話ではなさそうです。
だから我々は、次世代のために定住・永住外国人を地域の有為な資源として教育・育成、この国を支える同じ仲間として共に生きていかざるを得ないのです。

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